半生 - よっしゃあ金城

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よっしゃあ金城とは

半生

  • おばあちゃんの影響で幼い頃から年中熱いお茶を好む。今でも食事のシメは「お茶漬け」。彼の「お茶漬け」は白飯にお茶のみの、純お茶漬け。とにかく濃すぎるくらいのお茶を好む。
  • 小さい頃は朝から晩までサッカーをして遊ぶほどサッカー少年だった。
  • 中学校でも楽しくサッカーを続けていたが、人に気を遣いすぎていた性格が災いして、不登校児となる。学校に行っていなかった時期はゲームやテレビ三昧で、ブクブク太り、ロン毛であった。親戚には白ブタと呼ばれていた。ただ、周りの友達には恵まれており、不登校期間中も毎日友達が遊びにきていた。一度クラス全員のお友達が家に来たことがあり、その支えもあって中学3年生の時に不登校児を卒業。久高島に魅了され山村留学を決意する。
  • 久高島では14人の仲間と共同生活をしていた。最初の一週間は島から出ることしか考えていなかった。コンビニのシュークリームが恋しくてカヌーで沖縄本島を目指し脱出を試みるが、もうすぐリーフの外、というところで、海人(うみんちゅ)に見つかり、頭を叩かれ強制送還。その後は楽しくて仕方ない島生活を過ごす。この一年の経験が彼の原点になっている。
  • 久高島では部活がバトミントン部しかなく、ピチピチの短いズボンのユニフォームで中体連に出場。ジャンケンに勝ちサーブ権を獲得するも、初回以降サーブ権が返ってくることはなかった。島に戻り、野球部を発足。2名の部員で昼休みのノックと放課後の走り込み・素振りに明け暮れる。土日の休みは久高島のカベール岬まで裸足で走るというトレーニングを自らに課す。途中からは砂利道になるため走れる状況ではなかったが、そこで耐えてこそ と考え、前に進み続け、メンタルを鍛えていた。
  • 久高島のような環境を求め、沖縄最北端の高校、県立辺士名高校へ進学。野球部に入部し、当初はサードを守っていたが、肩が弱すぎて、ファーストまで2バウンド送球を繰り返し、監督に外野への転向を命じられる。
  • 寮生活だったこともあり、通常練習に加え、朝練と夜練を毎日続け、3年の春にはレギュラーを獲得。遠投も90メートルまで伸びた。
  • 高校卒業後は名桜大学に進学。硬式野球部に所属するも、後輩たちに担ぎ上げられ、リョー軍団というエンタメ集団を結成。学園祭などの稽古に没頭するようになる。大学卒業後、単位履修生として辺士名高校にて教育実習。保健体育の免許を取得した。
  • 大学時代に俳優になりたいと思い、演劇活動をしていた。(HIV人権フォーラム)
  • 琉神マブヤーのオーディションの自己PRで新ワザを披露し合格。のちに二代目オニヒトデービルとなる。(2009年9月~2011年3月)
  • 琉神マブヤーsoウチナー、琉神マブヤーターチ、アニメゴーゴーマジムンに出演。キャラクターショー年間100ステージ以上をケガなくこなしていた。
  • オニヒトデービルの傍ら、県立浦添工業高校にて教員補助の仕事に就く。なぜか専門の体育ではなく、木工作業の補助員として採用される。
  • 俳優を志し東京へ。月9に出ると豪語しマブヤーを卒業。上京後、超一流の俳優の現場に立ち会いたいと思い、日曜劇場南極大陸のエキストラとして参加。木村拓哉・香川照之・堺雅人など日本を代表する役者陣の演技を目の当たりにし、この人たちと同じステージに立つにはこの人生では手遅れと判断し、潔く3か月後に沖縄に戻る。周囲からは死ぬほど馬鹿にされたが、自分のやりたい事を業務にする会社を立ち上げることを心に決めていたため、微塵も悔しいという気持ちにはならなかった。
  • 会社設立のため、アルバイトをする傍ら、テレビドラマ「ハルサーエイカー」にスーツアクターとして参加。帰沖から1年後の2012年に合同会社アスリードを設立。
  • 2012年10月に開催された那覇まつりカラオケグランプリにて後輩と二人で出場、準グランプリを獲得。それをきっかけにテレビ番組に呼ばれるようになる。番組担当の野崎Dにより「よっしゃあず」と命名され、そのままコンビ結成。同時に角刈りにヒゲスタイルの「よっしゃあ金城」誕生。
  • 不登校時に、叔父から「今はゆっくり休め。その代わり、今はしっかり充電して、その時がきたら思いっきり走って止まるなよ」のことばに当時救われる。久高島に渡って以降、その言葉を胸に全力で走り続けているとのこと。