Ryokipedia - よっしゃあ金城

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よっしゃあ金城とは
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プロフィール

昭和61年生まれ。B型。金城 諒(きんじょう りょう)那覇市出身。久高島・辺士名で自然豊かな学生時代を過ごす。名桜大学卒。沖縄ローカルヒーロースーツアクターを務めた後、2012年合同会社アスリード設立。高等学校一種免許(体育)・自然体験活動指導者取得。

ひょんなことから、よっしゃあず結成。(那覇まつりカラオケグランプリにて)

現在、お祭りや各種イベントの司会・イベント企画運営、イベントマネジメント等、各ジャンルで活動中。お祭り等では、柔道着姿の『よっしゃあ金城』として会場を盛り上げ、披露宴等ではフォーマルスタイルの『金城 諒』として、その場の雰囲気に合わせた進行を行う。自身の経験を活かせるよう、幼児体育指導や東村あがりキッズ運営(子どもの居場所づくり)、小学校の野外活動、中学・高校への講話などを通してこどもたちと携わっている。

 

半生

  • おばあちゃんの影響で幼い頃から年中熱いお茶を好む。今でも食事のシメは「お茶漬け」。彼の「お茶漬け」は白飯にお茶のみの、純お茶漬け。とにかく濃すぎるくらいのお茶を好む。
  • 小さい頃は朝から晩までサッカーをして遊ぶほどサッカー少年だった。
  • 中学校でも楽しくサッカーを続けていたが、人に気を遣いすぎていた性格が災いして、不登校児となる。学校に行っていなかった時期はゲームやテレビ三昧で、ブクブク太り、ロン毛であった。親戚には白ブタと呼ばれていた。ただ、周りの友達には恵まれており、不登校期間中も毎日友達が遊びにきていた。一度クラス全員のお友達が家に来たことがあり、その支えもあって中学3年生の時に不登校児を卒業。久高島に魅了され山村留学を決意する。
  • 久高島では14人の仲間と共同生活をしていた。最初の一週間は島から出ることしか考えていなかった。コンビニのシュークリームが恋しくてカヌーで沖縄本島を目指し脱出を試みるが、もうすぐリーフの外、というところで、海人(うみんちゅ)に見つかり、頭を叩かれ強制送還。その後は楽しくて仕方ない島生活を過ごす。この一年の経験が彼の原点になっている。
  • 久高島では部活がバトミントン部しかなく、ピチピチの短いズボンのユニフォームで中体連に出場。ジャンケンに勝ちサーブ権を獲得するも、初回以降サーブ権が返ってくることはなかった。島に戻り、野球部を発足。2名の部員で昼休みのノックと放課後の走り込み・素振りに明け暮れる。土日の休みは久高島のカベール岬まで裸足で走るというトレーニングを自らに課す。途中からは砂利道になるため走れる状況ではなかったが、そこで耐えてこそ と考え、前に進み続け、メンタルを鍛えていた。
  • 久高島のような環境を求め、沖縄最北端の高校、県立辺士名高校へ進学。野球部に入部し、当初はサードを守っていたが、肩が弱すぎて、ファーストまで2バウンド送球を繰り返し、監督に外野への転向を命じられる。
  • 寮生活だったこともあり、通常練習に加え、朝練と夜練を毎日続け、3年の春にはレギュラーを獲得。遠投も90メートルまで伸びた。
  • 高校卒業後は名桜大学に進学。硬式野球部に所属するも、後輩たちに担ぎ上げられ、リョー軍団というエンタメ集団を結成。学園祭などの稽古に没頭するようになる。大学卒業後、単位履修生として辺士名高校にて教育実習。保健体育の免許を取得した。
  • 大学時代に俳優になりたいと思い、演劇活動をしていた。(HIV人権フォーラム)
  • 琉神マブヤーのオーディションの自己PRで新ワザを披露し合格。のちに二代目オニヒトデービルとなる。(2009年9月~2011年3月)
  • 琉神マブヤーsoウチナー、琉神マブヤーターチ、アニメゴーゴーマジムンに出演。キャラクターショー年間100ステージ以上をケガなくこなしていた。
  • オニヒトデービルの傍ら、県立浦添工業高校にて教員補助の仕事に就く。なぜか専門の体育ではなく、木工作業の補助員として採用される。
  • 俳優を志し東京へ。月9に出ると豪語しマブヤーを卒業。上京後、超一流の俳優の現場に立ち会いたいと思い、日曜劇場南極大陸のエキストラとして参加。木村拓哉・香川照之・堺雅人など日本を代表する役者陣の演技を目の当たりにし、この人たちと同じステージに立つにはこの人生では手遅れと判断し、潔く3か月後に沖縄に戻る。周囲からは死ぬほど馬鹿にされたが、自分のやりたい事を業務にする会社を立ち上げることを心に決めていたため、微塵も悔しいという気持ちにはならなかった。
  • 会社設立のため、アルバイトをする傍ら、テレビドラマ「ハルサーエイカー」にスーツアクターとして参加。帰沖から1年後の2012年に合同会社アスリードを設立。
  • 2012年10月に開催された那覇まつりカラオケグランプリにて後輩と二人で出場、準グランプリを獲得。それをきっかけにテレビ番組に呼ばれるようになる。番組担当の野崎Dにより「よっしゃあず」と命名され、そのままコンビ結成。同時に角刈りにヒゲスタイルの「よっしゃあ金城」誕生。
  • 不登校時に、叔父から「今はゆっくり休め。その代わり、今はしっかり充電して、その時がきたら思いっきり走って止まるなよ」のことばに当時救われる。久高島に渡って以降、その言葉を胸に全力で走り続けているとのこと。

 

過去作品

テレビドラマ

琉神マブヤーsoウチナー

琉神マブヤー2(ターチ)

ハルサーエイカー

ハルサーエイカー2

アニメ 

ゴーゴーマジムン

映画

沖縄を変えた男

CD

シングル

「YO!!ドッカーン!! ~ハイレグキックで立ち待ち構える~」

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 有限会社ツネダ塗装工業 CM(現在放映中!)

 

主な出演

かりゆし迎恩大祭司会/男祭りオープニングアクト/国頭村トレイルランニング司会/大宜味村祭り司会/浜区祭り司会/オクマプライベートビーチ&リゾート イベント司会/名護物産展 記者会見司会/国頭産業祭り司会/東村産業まつり司会/東村つつじ祭り司会/沖縄BON!!リポーター/沖縄国際映画祭(パフォーマンス)/オンナゴ海開き司会/JTBサマーフェスタ司会/大宜味村夏祭り司会/東村まつり司会/国頭村物産フェア司会/うるま市祭り3on3司会/国頭村農業委員会イベント司会/東村くくる婚司会/伊平屋トレイル司会/やんばる3村観光物産フェア司会/とまりんフェスタ司会/名護さくら祭り司会/今帰仁グスク桜まつり/粟国島「ア」の国まつり出演/琉球ホテル&リゾート イベントMC/沖縄テレビ「オキナワ強者列伝」スポーツの強者編part2 安仁屋宗八役/ 他

エピソード・キャラクター

・パフォーマンスや歌を歌うのが好きで、毎年応募総数1000を超えるといわれている、那覇大綱挽カラオケグランプリには4回出場。うち2回、決勝まで残る。カラオケパフォーマンスでの「よっしゃあ漢唄」や琉神マブヤーのCD「ゴーゴーマジムン」のコーラスで歌声を発揮している。2019年にはオリジナルソングをリリース。 

 

・初期メンバー “よっしゃあず” の「よっしゃあ伊波」は営業職で大活躍中。

・おばさま世代に好かれることが多い。生まれる時代を間違えたそうだ。

・食事をしながら雑談をすることができないので、おとなしくなり心配されることがある。

・なぜかこどもが寄ってくる。特技は他人の赤ん坊でも寝かせること。

・プロ野球スピリッツAが日課。

・柳沢慎吾さん あばれるくん ワッキー(ペナルティ)の大ファンである。

 

 

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